復帰以前はこのような風景画普通であった
ペンキ 布の日よけ 冷蔵庫がなかったので
町中に 1センマチヤがあった

金城 明一 作
もうひとつの昭和の映像

沖縄本島のやんばる名護市 屋我地島
内海は小島が浮かび対岸の風景が水墨画のようです

屋我地大橋のたもとに石碑があります
「のがれの島の碑」
行き場を無くしたハンセンシ病の方々の話が刻まれています

世間の病気への無理解と誤解から内海の小島ジャマル島で半年にも及び
暮らさなければならなかったのです
飲み水にさえ困り人目を避け夜中に運んだそうです

碑には自身も病をわずらってしまった青木牧師の歌が残されています
「 のがれの島
魚ならば 海にもぐりても生きん
鳥ならば 空に舞い上がりてものがれん
五尺の体 住むところ無しと 」
その後 昭和13年に沖縄県立国頭愛楽園が設立され患者の皆さんは
天国のようだと喜んだといいます

ハンセンシ病の時代背景については大城貞俊氏の小説「椎の川」に
詳しく書かれています
地元済井出青年団との交流も30年ほど前に始まっています
友人が慰問でエイサーを踊り酒を酌み交わし握手をしてきたと
興奮し明るい声で話したのを思い出します
国立療養所 沖縄愛楽園ホームペイジは
web.mac.com/okinawa_airakuen/iWeb/site/4947A031-1CFB-49E7-BB04-E06C226D5ECF.html
です 古宇利大橋のたもとにある美しいところです。






