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民主主義を足蹴 (OKINAWA)

2012年9月9日 - スタッフ公式
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【特別寄稿 ガバン・マコーマック氏】
民主主義を足蹴 立場超えた先例なき抵抗

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ガバン・マコーマック氏
 9月9日のオスプレイ配備反対の県民大会には大きな期待がかかっている。過去何十年も繰り返し、沖縄をだまし、差別し、裏切ってきた日本政府は、またしても沖縄の人々が我慢の限界を超えるまで挑発するつもりのようだ。
 沖縄の人々が安全でないものは受け入れないと再三主張しているのに、オスプレイ配備を進め、権威主義を振りかざし民主主義を足蹴(あしげ)にしている。
 宜野湾市の新城嘉隆さん(市自治会長会会長)は、我慢強い沖縄の精神文化も限界にきているとして、「ニジティン、ニジティン、ニジララン(耐えようとしても耐えられない)」と述べたが、その言葉に苦渋に満ちた沖縄の歴史が凝縮されている。
 政府か沖縄の人々のどちらかが引かなければならない時だ。政府はもちろん沖縄の人々に対して巨大な力を持っているし、政府が沖縄の意思を踏みにじる可能性は大きい。
しかし、20年近く沖縄の人々は追い詰められながらも日米政府の計画を次々と挫折させてきた。
今回のオスプレイ配備で日米政府はかつてないほどの賭けを仕掛けてきている。配備反対運動が日本の民主主義に与える影響は大きい。
 冷戦の終焉(しゅうえん)以来20年が過ぎた。ワシントンの後押しを受けた東京と沖縄の関係は冷戦最中のモスクワとブダペスト、ワルシャワの関係に酷似する。かつてモスクワがハンガリーやポーランドの意見を軽視したのと同じように、東京は沖縄の考えを尊重していない。
 基地と闘い続けてきた沖縄では、与野党の区別はない。
自治体の首長も県議会も、住民も反対で固まっている。
保守の沖縄県知事は「(オスプレイが)それほど安全なら日比谷公園か新宿御苑(ぎょえん)みたいなところに持って来ては」と突き放した。官も民も、左も右もそろって国に「ノー」と抵抗したことは、もはや一県の反対運動を超えており、日本の歴史に先例がない。
 オスプレイ配備にとどまらない重要な問題がかかっている。
オスプレイ反対の沖縄の運動は辺野古の普天間代替施設建設反対であり、高江のヘリパッド反対に直結する。
反対運動の行方は、相互協力の名の下で米軍と自衛隊が一体となって、南西諸島を軍事化して、日中対立の最前線にすることと、与那国島に自衛隊の新基地を建設し、下地島と鹿児島県の馬毛島を軍事基地にするなどのさまざまな構想に影響することは当然だ。
 民主党が2009年の選挙時の公約を次々とほごにし、自民党のクローンと化し、日本本土が政治への絶望感で覆われる中、沖縄は新たな闘争へのエネルギーを再燃させている。
地方自治体選挙結果と2010年の県民大会は沖縄県民の決意の表明であった。
 ウィキリークスのさまざまな暴露や沖縄返還時の密約の露見で、国家と日米安保体制の本質が明らかになった。
復帰時に約束された「核抜き、本土並み」の欺瞞(ぎまん)から始まり、さまざまな法律、特に環境保護法の操作、適用逃れを何年も続けていることや野田政権の欺瞞的な「負担軽減」の約束に至るまで一貫した沖縄差別の背景には、安保体制がある。
 民主党政権は自民党政権以上に米国従属と沖縄に強硬な
態度を取るようになった。
野田首相の「配備自体は米国の方針で、どうしろ、こうしろという話ではない」という発言は、日本の属国性そのものを示した。
しかし、オスプレイを沖縄だけでなく、全国に展開する米国防総省の計画を日本政府が支持を表明、これが日本全国に「沖縄的」抵抗精神の覚醒を促すことになった。
 オスプレイ反対が全国的基地反対、安保反対運動に拡大し、安保自体を危うくする可能性を恐れ、ワシントンに忠実で安保支持の人々の間にも、オスプレイ配備を遅らせるべきだという声が上がっている。
政府は今後オスプレイの安全性を調査の上、国民に説明すると約束したが、最終的には日米政府の計画を強行しようという魂胆に変わりはない。
 いずれにせよ、2011年以来、福島原発事故問題にしても
沖縄問題にしても、日本政府の信用は地に落ちてしまった。
日本政府がやるべきことはもっと上手に詳しく説明することではなく、謝罪し、オスプレイ計画を撤回させることである。
 沖縄の闘争は日本の国の政治がどう行われるべきかを問う根源的な闘いである。米国が経済、道徳面で権威を失墜し、世界が急速に変化している中で、日本があくまでも米国の属国であり続け、軍事化を進めることがどんな国益になるのか。
 沖縄の軍事反対の闘争は日本の良心を刺激し、
本土の市民を勇気づける貴重な存在なのである。
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 GAVAN McCORMACK 1937年オーストラリア生まれ。
オーストラリア国立大学名誉教授。東アジア近現代史、主に日本近現代史。「ジャパン・フォーカス」代表編集者。同活動で2008年に琉球新報が創設した池宮城秀意記念賞受賞。
著書に『空虚な楽園 戦後日本の再検討』(みすず書房)、
『属国 米国の抱擁とアジアでの孤立』(凱風社)など。
  琉球新報

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