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島を挙げ踊り歌う、(多良間村 ・宮古島)

2012年9月25日 - スタッフ公式
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島を挙げ踊り歌う、多良間村伝統の八月踊り
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【多良間】
多良間村の伝統行事 「八月踊り」 が旧暦8月8日の23日から3日間行われている。
字仲筋の土原御願所、 字塩川のピトゥマタ御願所で住民たちによる組踊りや古典踊り、 獅子舞、 棒踊り、 狂言などの奉納芸能が催された。 25日は両御願所でそれぞれ演じる 「別れ」 となる。
琉球王朝時代から租税の皆納を祝い、 豊年を祈願する祭りとして受け継がれ、 国の重要無形民俗文化財指定、 ユネスコの世界無形文化遺産への登録候補となっている。
来月14日には字塩川の芸能が国立劇場おきなわで行われる。
 23日は字仲筋、 24日は字塩川の 「正日 (ショウニツ)」 が行われ、 互いに住民を招待してそれぞれの芸能を披露した。
このうち字仲筋の 「正日」 は午前10時頃から始まった。
土原御願所に三味線や太鼓、 ホラ貝の音が鳴り響き、 荒々しい獅子舞が会場の厄を払って 「八月踊り」 の幕開けを告げた。 続いてこの日の演目を紹介する 「総引き」 が行われ、 衣装を身にまとった出演者たちが舞台を練り歩き、 民謡 「多良間世」 に合わせて女性たちの 「キネツキ踊り」、 男性2人組みの勇壮な 「棒踊り」 が会場を盛り上げていった。
 福禄寿の口上に続いて若衆踊り、 女踊り、 二才踊りが次々と演じられた。 狂言では浮気をする農夫を妻が懲らしめる寸劇で笑いを誘った。
組踊り 「忠臣仲宗根豊見親組」 ではオーガマ、 クイガマ姉妹の活躍で仲宗根豊見親が与那国の鬼虎を征伐すると会場は拍手と喝采に包まれた。
 2001年に国立劇場で字仲筋の芸能が演じられており、 11年ぶりに 「八月踊り」 が島を出る。 字塩川では祭りが終わっても国立劇場公演に向けて稽古が続くという。
演目は本番の半分ほどだが、 それでも3時間余の大舞台になり、 裏方を含めて約70人が出演する。
同字で組踊りなどに携わってきた運天宏和さんは 「めったにない良い機会。 広い舞台でやるので良い刺激になると思う。 ぜひ多くの人に 『八月踊り』 を見てほしい」 と話した。
 「八月踊り」 の起源は人頭税を皆納した旧暦8月に島内の各御嶽で祝うとともに翌年の豊作を祈願し、 踊りを奉納していたことが始まりと考えられている。
最初は 「多良間世」 に合わせて民俗踊りなどを行っていたが、 明治中期になると那覇から組踊りや古典踊りが伝わり、 獅子舞やヨーンシーなども加わって現在の形になってきた。
当時は士族、 平民で演目が異なり、 出演者も15歳以上の男性のみだったが、 1960年頃からは身分の区別がなくなり女性や子どもも出演できるようになった。
  宮古新報

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