メニュー

 デザインマンホール模型 (OKINAWA)

2012年11月1日 - スタッフ公式
LINEで送る
Pocket

手作りから機械加工へ デザインマンホール模型 
null
デザインマンホール模型製作の代替技術について説明する
沖縄鋳鉄工業の新城祐功専務=31日、西原町の同社
 県内各市町村の特徴を描いたデザインマンホールの鉄ふたを製造する沖縄鋳鉄(ちゅうてつ)工業(西原町、真志喜実社長)は鉄ふた部分の模型製作で、コンピューターを使った設計支援システム(CAD)など先端技術を取り入れた代替技術の確立に成功した。沖縄発祥というデザインマンホール。
同社は県内唯一の製造元で、従来は技術者一人が手作業で製作してきた。代替技術が確立したことで県内生産のさらなる継続が期待されている。
 デザインマンホールは1977年、那覇市が魚をデザインした
マンホールのふたを導入したことに始まる。
それらマンホールデザインの模型の製作者が「現代の名工」に選ばれた神山寛盛さん(83)で、デザイン画のみを基にアルミニウム板から糸のこで切り出していた。
 マンホールは溶けた鋳鉄を、かたどられた専用の砂に流し込み製造する。その砂の形を作るために、デザイン模型を使う。
模型を押し込み、砂を崩さずに引き抜くには模型の彫り込みを斜めにし抜けやすくする必要がある。
 沖縄鋳鉄工業では、糸のこに代わる切断法として、ワイヤ加工機やレーザー加工機の利用を考えてきたが、勾配を付け加工する必要があるため、加工物に対し垂直に動く両機器では対応が難しいと判断。そこで金属を削る工作機による切削法に着目し、CADなどと組み合わせて使い、技術面とコスト面の課題を解決した。
 神山さんは同社を定年退職後も嘱託として作業を請け負ってきた。デザインマンホールの製品化は神山さんの高い技術力に支えられていた。
一方で同社はデザインマンホール製造を年間約2千枚受注。
模型は4千~5千回の押し込みで摩耗する。技術者の高齢化に伴い代替技術の確立が急務となっていた。
 同社は県工業技術センターと連携。県の支援も受け技術開発に取り組んできた。
新城祐功専務は「これで技術を残していける。技術者が引退するまでは、継続して担当してもらうが、その先も模型の更新や新規発注に対応していけるだろう」と話した。
 (謝花史哲)
  琉球新報

LINEで送る
Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です