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集落(スマ)を歩く 下地・川満 宮古島

2013年1月8日 - スタッフ公式
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【集落(スマ)を歩く】⑯・下地川満-㊤
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 下地の川満集落は、 平良市街地から車で10分ほどの位置にある。 与那覇湾に面した集落は市街地に近いという便利さから下地の自治会のなかでも世帯数が多く、 行事も活発に行っている。
 1994年3月に、 平良市史編さん委員会が発刊した 「平良市史」 第9巻資料編7 (御嶽編) には、 「川満は近世時代には下地間切に属する村であった」 と記されている。
1908 (明治41) 年の特別町村制で下地村に組み込まれ、49(昭和24) 年1月には下地村の町昇格に伴い下地町字川満となった。 その後市町村合併で宮古島市下地字川満となって現在に至っている。
 御嶽は6カ所あり、 そのうち真種子若按司を祭神とする 「喜佐間御嶽」 は 「御嶽由来記」 (1705年) に、 女神・天仁屋大司を祭神とする目利真御嶽は 「擁正旧記」 (1727年) に、 その由来が記されている。
 喜佐真御嶽は、 川満集落南側の小高い林にあり、 拝所は石
垣で囲まれ、 100平方㍍余の庭と石段、 籠り家、 ムトゥなどがある。 主な祭祀は年に2回ユークイ (豊穣祈願) 行事 (10、 12月) が行われる。
以前は7日間、 御嶽に備えられている籠り屋に寝泊まりしながら執り行われていたが、 今は泊りなしの2日間に短縮されている。 そのほか 「世乞い」 などが行われている。
 神行事は55歳から72歳までの女性が担う。
女性たちはユークインマと呼ばれ、 その中から中心となる3人が神くじによって選ばれる。 3人は上からツカサンマ、 ユーザスンマ、 ヤマトンマの順で、 ツカサンマは神行事がスムーズにいくように手伝い役2人を指名する。
 ことしのユークイは10月20日、 21日に執り行われた。 ツカサンマら3役と20人余のユークインマが喜佐真御嶽の神前に線香を焚き、 御馳走を供え、 唄や踊りなどを神に捧げて川満集落の豊穣が祈願された。 このあとウプカー御嶽、 スゥーフツ御嶽、 目利真御嶽も巡拝して祈願したという。
 ユークインマになって4、 5年の女性は 「神行事があることは知らなかった。 実際にやってみて大変な部分は多いが、 自分や家族の健康、 集落の繁栄祈願をしていることは良いことだといい方向に考えている」 と話した。
 同集落では、 建造してから48年が経ち雨漏りがひどく崩壊の恐れがあるとして2000年に喜佐真御嶽改築委員会が結成され、 県指定の民俗文化財であることから県と当時の下地町の協力を得ながら改築を行っている。
宮古新報

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