『沖縄系ハワイ移民たちの表現』 無名の人々の文学
『沖縄系ハワイ移民たちの表現』
仲程 昌徳著 ボーダーインク・2000円
著者については、あらためて紹介するまでもない。長年にわたって文献資料を渉猟し、地道な作業を積み重ねて、埋もれかけた表現者や作品に光を当て続けている沖縄文学研究の泰斗だ。私は自身の資料探索の途中で、この著者が通り過ぎた跡に何度か出会ったことがある。
はるか遠くまで続くその足跡を眺めるたびに、自分の調査研究の未熟さを教えられる気がした。
本書では、沖縄から海外に移民した無名の人々の文学表現が取り上げられている。
一般に日本からの海外移民社会では、俳句や短歌といった定型短詩が文芸活動の中心だった。
写真1枚の見合いで海を渡った女性を描く『ピクチャーブライド』(1995)という映画でも、見合い相手からの手紙には俳句が添えられていた。
また無骨な夫が1句詠むという場面もある。
そこには身体に染みこんだ、民族的な言葉のリズムが現れていた。五七五と数えれば、たとえ拙い表現でも、定型の調子が想いを支えてくれるのだ。
そしてもう一つ、定型短詩には句会や歌会、新聞への投稿といった機会があり、しばしば師弟関係やグループが形成される。
それは移民同胞が自分たちの言葉で交流する場であり、故国の伝統文芸を通じて郷愁を慰め合う場にもなっただろう。
そうした点からすれば、琉歌は沖縄系移民にとって重要な表現形式の一つだったに違いない。
著者は現地の新聞を中心に、深い共感を持って沖縄系移民の作品を拾ってゆく。
そして創作の動機やテーマを分析しながら、沖縄への想いとハワイでの日常という二重性を持つ移民にしか詠めない琉歌の存在を明らかにしている。
さらに本書で一番の驚きは、移民たちが琉歌をベースに五七五の川柳に対する「六八六の琉語川柳」という、独自の定型短詩を生みだしていた事実だ。
その一方で、琉歌会の活動や分派対立の経緯からは、移民社会の現実も垣間見える。
手間暇をかけた掘り起こし作業の成果である本書によって、
沖縄の文学表現は新たな広がりと意味を持つことになった。
(世良利和・岡山理科大学兼任講師)
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なかほど・まさのり 1943年テニアン島生まれ。73年に琉球大学文学部文学科助手として採用され、2009年3月に同大教授を定年退職。
琉球新報