コザ十字路 友好の場に 「黒人街」
歴史研究した池原さん
住民たちから黒人街の歴史を聞く池原えりこさん(右端)
=2012年12月、沖縄市の照屋公民館
【沖縄】
米カリフォルニア大学バークレー校の大学院に在籍する池原えりこさん(49)が、1月までの約3カ月、沖縄市照屋に滞在し、同地域に1950年代から76年ごろまであった「黒人街」の歴史を研究した。
滞在中、当時を知る住民たちと情報交換を重ねた池原さん。
米本国で黒人差別に対する公民権運動も激化していた当時、米軍統治下で同じく民衆が抑圧状態にあった沖縄社会で黒人街が形成された経緯を追い「照屋には普遍的で人類が大切にすべき何かがあったのではないか」と話した。
池原さん自身もウチナーンチュの母と黒人兵の父の間に生まれ、少女時代を照屋で過ごした「黒人うちなー島ハーフ」(池原さん)。黒人街は自身のルーツでもある。
滞在中、住民と一緒に地域の歴史を記録するプロジェクトとして、照屋公民館や付近のバー、銀天街商店街などで情報交換や交流を続けた。意見交換では、黒人街に隣接した銀天街などで、黒人兵が女性暴行や強盗などの事件を起こしたことを振り返る声もあった。
一方、沖縄に駐留する黒人兵が全軍労と一緒にベトナム戦争の反対運動を展開するなど、強者に対する異議申し立てでウチナーンチュとの結束が生まれた事例も紹介された。
池原さんは「戦後のコザは(白人文化が色濃い)ロックの街のイメージはあるが、(黒人文化が色濃い)ソウルの街でもあった。しかし、その側面はあまり検証されていない。
犯罪など負のイメージも確かにあるが、差別される立場にあったウチナーンチュと黒人の間に、相通ずる部分もあったのではないか」と指摘。
「歴史の検証は未来への一歩。当時沖縄に滞在した黒人兵の記憶もたどり、コザ十字路を沖縄と米国の友好の交差点にしたい」と話した。
琉球新報