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[我ら“うちなーんちゅ”米ロス発]新城義道さん(OKINAWA)

2013年2月21日 - スタッフ公式
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[我ら“うちなーんちゅ”米ロス発](27)新城義道さん
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 数多くある北米沖縄県人会の活動の中で、最も多忙を極めるといわれるのが芸能部である。三味線、民謡、太鼓、舞踊などそれぞれのクラブを統括し、イベントを主催する。その芸能部の2013年度の部長に新たに就任したのが、社交ダンス教師を35年務めている名護市字源河出身の新城義道さんだ。
 新城さんが渡米したのは1971年。実業家での成功を夢見て、最初はボーディングハウス(宿泊施設)に身を寄せた。「当時は英語もできなければ、車も持っていませんでした。沖縄出身の先輩に迎えに来てもらって出かけるようになりました。ですから、県人会に入ったのは渡米してきた年です。社交ダンスも人に誘われて40年前に習い始めました」
 3年後の74年にはロサンゼルス近郊のガーデナ市でレストランをオープン。その後立て続けに3軒のレストランを手がけた。
 「一つのレストランでは、夜はカラオケとダンスを楽しんでいただきました。私も店の経営と並行してダンスを教えていましたが、84年にダンスに集中するためにレストランはすべて辞めました。以来ダンス教師一筋です」
 現在でも自らが所有するガーデナのダンススタジオを拠点に、各地のコミュニティーセンターで200人を超える生徒たちを教える忙しい日々を送っている。取材に訪れたガーデナの公的施設の教室では、午後1時の開始時間より前に30人ほどの生徒が集まっていた。
 「うちの生徒さんは平均年齢が80歳前後です。若くて70歳くらい。私が最初に教え始めたのが27歳の時でしたから、その時からずっと一緒に生徒さんと年を重ねているわけです。皆さん、ここが社交の場になっていて、途中で辞めることなく続いています。生徒さんたちがお休みするのはたまの風邪と旅行に行く時、それにお孫さんのベビーシッターを頼まれた時くらい」
 新城さんは教室だけでなく、さまざまな団体から依頼を受けてボランティアでもダンスを教えている。「私自身のダンスを披露することもありますが、基本的には皆さんと一緒にラインダンスを踊って楽しい時間を過ごします」
 積極的な奉仕活動が認められ、新城さんは過去にロサンゼルスのアントニオ・ビヤライゴーザ市長、さらにはカリフォルニアのアーノルド・シュワルツェネッガー州知事から特別功労賞を授与されている。
 奉仕精神のルーツはどこにあるのかを聞くと、「沖縄にいたころに青少年赤十字の活動に携わって、ボランティアのトレーニングを受けたことがあります。あれが奉仕に関しては最初の経験ですね。しかし、何よりアメリカに来てから、沖縄県人会の先輩方や、沖縄以外でもローカルの団体の方々に助けられていただいたことは、非常に大きかった。
過去にお世話になった分、私がダンスを通じて地元の日系社会に還元していきたいという気持ちがありますね」と明解に答えた。
 最後に新城さんはダンスを教えるやりがいについて「踊れるということは、つまり健康であるということです。それに尽きます」とコメントした。これからも多くの生徒と共にステップを踏みながら健康を実感しつつ、北米沖縄県人会の芸能部のさらなる発展に貢献していただきたい。
(ロサンゼルス通信員)
沖縄タイムス

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