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三線 楽しい 大好き (OKINAWA)

2013年3月5日 - スタッフ公式
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【さんしんの日特集】三線 楽しい 大好き
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三線の魅力を語る県三線製作事業協同組合の
又吉真也理事長=那覇市・新栄堂
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山川まゆみさん(後列中央)の指導で稽古に励む島うた少女“テン”=与那原町・山川まゆみ民謡研究会
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「沖縄の三線音楽が何枚レコードやカセットになっているか?
正確な数は誰にも分からないでしょうね」と話す備瀬善勝社長
=沖縄市・キャンパスレコード
 ラジオの時報とともに三線で「かぎやで風節」を奏でる「第21回ゆかる日・まさる日・さんしんの日」(主催・琉球放送、共催・沖縄タイムス社など)のイベントが4日正午から、読谷村文化センター鳳ホールを主会場に開かれる。
 同ホールや県内・県外各地で三線愛好家が、正午から9時間にわたって民謡や古典音楽、沖縄ポップスなど歌三線の音色を楽しむ。RBCiラジオでは午前11時45分から午後9時まで、主会場をはじめ長野県や与論島、ボリビアや台湾、イギリスなどの取り組みを生中継する。
沖縄象徴する楽器 誇り
県三線製作事業協同組合理事長 又吉真也さん

 「三線」は昨年11月、県伝統工芸品に認定された。沖縄を代表する楽器として、県民の精神文化を象徴する工芸品として評価されたのだ。
 県三線製作事業協同組合の又吉真也理事長は、伝統工芸品に認められたことに重みを感じ、「今まで以上に自信と誇りを持って仕事をしなければ」と気を引き締める。
 県内で年間4万丁が販売されるという三線。うち県産品は1万丁程度。「海外品は安くて大量にできるが、材料となる木をあまり寝かすことなく作ることもあり、棹(さお)がねじれたりする場合もある。県産品は棹にナンバーを振り、責任を持って作り、販売する」と又吉理事長。制作技術を海外に委ねることなく地元で守っていく考えだ。
 課題は職人の高齢化や後継者不足という。
 「一丁一丁作るのは手間がかかる。自分もまだまだだが、一人前になるのも時間がかかる。後継者を育てるのも組合の責任」
 組合では三線制作に興味がある一般の人や演奏家などを対象に「三線大学」を開き、質を考慮しながらも価格を抑えた「みんなの三線」などの事業も進めている。「三線人口が増えてきて、お客さんの視線も変わってきた。多少高くても信頼できる業者から買おうという人も増えた」と変化を見る。
 又吉理事長は「三線は沖縄だけのものでなく、県外、海外も視野に入れ、恥ずかしくないものを作っていきたい」と抱負を語った。
元気な歌声 笑顔と届ける
島うた少女“テン”

 元気な歌声と明るい笑顔で人気上昇中のグループ「島うた少女“テン”」。2011年、東京のテレビ局のロケ番組で演奏したことをきっかけに結成され、12年にはデビューアルバム「点から線へ」を発売した。来月には新アルバムのリリースや県外公演も予定され活動は上り調子だ。
 メンバーは4歳から16歳の女の子13人。子ども向け番組で放送された「ユイユイ」のヒットで知られる民謡歌手の山川まゆみさんの指導で稽古を続けている。
 リーダーの玉城妃奈乃さん(南風原高1年)は小学4年で三線を始めた。「楽しくて続けている。お客さんとふれあえるのが楽しい」。
 宮城マナミさん(与那原中2年)は「『ヒヤミカチ節』のようなにぎやかな曲が好き。お客さんに喜んでもらえるような楽しいパフォーマンスがしたい」と張り切っている。
 指導する山川さんは「沖縄の島唄を中心に、基本をしっかりやっています。三線の日は、先輩方と一緒の大きな舞台なので、(オリジナル曲の)『さんしん・テン!』をしっかり歌えるように稽古したい」と話した。
民謡レコード制作「ビセカツ」さんこぼれ話
1万枚売れた■林昌さんの凝視■立ち弾き第1号

 沖縄音楽のレコードやCDの制作・販売を手掛けるキャンパスレコードの備瀬善勝社長が、民謡や三線にまつわるこぼれ話を語る。
戦後初ヒット曲 
戦前からSP盤などはあって、民謡もたくさん吹き込まれているけど、一つの曲で売れた枚数はせいぜい数百枚。SPを聞く蓄音機そのものが、たくさんあった時代じゃないからね。
 戦後になってのレコードのヒットはA面が喜納昌永さんの「通い船」、B面が石原節子さんと城間ひろみさんの「ちぶみ」のドーナツ盤。両面とも大ヒットだった。アメリカー相手のAサインバーのジュークボックスにも入っていて、みんながしょっちゅうかけていた。聴いていたのはアメリカーじゃないよ。店の従業員が、客が居ないときに聴くわけ。売れに売れて、1万枚を超えるヒットになったというね。
「三線なければ」
 嘉手苅林昌さんというのは変な人でね、他人の家に行くと、そこの三線を断りもせずに探し出して弾く癖があった。普久原恒勇さんから聞いた話だけど、ある日、普久原さんの家にあった三線を持って、林昌さんが、じーっと眺めていた。恒勇さんが「ヌーガ、ウンジョーヌーソーガ(いったい、どうしたの?)」と聞くとね、しみじみと「ウレー、ネーランタレー、ヌーソータガヤー(三線がなかったら何していたかなあ)」と話したそうだよ。
 確かに三線という楽器がなかったら、あんな人の歌も聴けなかったし、沖縄の文化も違うものになっていただろうね。
割り箸とテグス
 NHKのど自慢に、山内昌徳さんが初めて出演したときの話。本土の津軽三味線などの民謡は歌い手と三味線の演奏者は別。だからNHKの人に「歌い手は立ってください」と言われたらしい。
 でも沖縄の歌三線は座って弾き、歌うスタイルだったから山内さんは困った。そこで帯に割り箸をさし、その上に三線を乗せるようにして演奏した。これが立って三線を弾いた第1号だといわれている。
 林昌さんも最初は立って三線を演奏するのは大変だったらしくて、釣りで使うテグスを三線に結んで、客から見えないように工夫して肩から掛けて弾いたと話していた。
ネット動画、公式ツイッターも
 「第21回ゆかる日・まさる日・さんしんの日」の様子がユーストリームによるインターネット動画で見ることができる。さんしんの日オフィシャルサイトにあるバナーをクリックするか、ユーストリームサイトの中で「さんしんの日」と検索する。
 また、さんしんの日・公式ツイッター(34_day)では、当日の演奏している曲目をリアルタイムで伝える。
 また、さんしんにまつわるみなさんの思い出やエピソードを募集している。
 メールrbc34@rbc.co.jp
 FAX098(867)0929。
 詳しくはオフィシャルサイト http://www.34day.com/
  沖縄タイムス

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