メニュー

「恩師の家族にお礼を」…台湾から手紙 (宮古島・沖縄)

2013年5月16日 - スタッフ公式
LINEで送る
Pocket

「恩師の家族にお礼を」…台湾から市に手紙届く
null
台湾からの手紙や父・松川浩さんへの思いを語る
真栄田昭子さん (右)、 金城博明さん
=下地字川満の真栄田さん宅
 恩師の家族を探して─。 先日、 宮古島市宛に台湾高雄市岡山地区の戴文凱 (たい・ぶんがい) さん (78) から一通の手紙が届いた。 戦前、 同市公立小学校で教鞭を執っていた下地字川満出身の故・松川浩さんが戴さんが2年生のころ家庭教師を務めた縁があり、 戴さんが所属する医師文化基金会の観光旅行で9月に来県することから 「恩師の家族にお世話になったお礼が言いたい」 と連絡。
約60年前に交わした手紙の住所では連絡が付かなかったため市に手紙を送ったという。
 琉球華僑総会宮古支部長の羽地芳子さんの翻訳によると、 手紙には小学校の校長をしていた松川さんが太平洋戦争で家族と岡山地区に疎開。
戦後は日本人の仕事が無く厳しい状況の中、 戴さんの父が松川さんに家庭教師を依頼した。
戴さんは 「先生の指導のお陰で中・高・大学と進学し、 医師になれた。 ぜひお礼を言いたい」 などと記しているという。
 松川さんは亡くなっているが、 羽地さんの協力で字川満に長女の真栄田昭子さん (85)、 次女の金城絹枝さん (77) が住んでいることが判明。 父の台湾時代の教え子から感謝の手紙が来たことについて、 昭子さんは 「そんな手紙が来るとは驚き。 もし宮古に来るなら、 もちろん歓迎する。 ありがたい。 父の話も聞きたい」 と感想を話した。
 昭子さんは1927年に同市で生まれ、 20歳まで台湾で過ごした。 「終戦後はとても厳しい生活をした。 いまでも夢に見る」 と涙をにじませながら、 「父が誰かに感謝されるのは嬉しい。
気が優しく物静かな人だった」 と語り、 絹枝さんの夫・博明さんは 「父の人柄が良かったので、 台湾の人たちも助けてくれたのでは」 と話した。 また松川さんの家族と連絡がついたことを受け、 下地市長は 「良い出会いができそうだね」 と笑顔を見せた。
null
戴文凱さんからの手紙を見せる下地市長
=市平良庁舎
 松川さんは1900年生まれ。 下地小高等科卒。 21年4月に台湾に渡り、 23年に台南師範学校速成科を卒業し教職に。 終戦後46年に川満地区に戻り町議会議員や教育委員を経て54~61年に町助役。 教育充実や生活文化の改善向上に功績を残し、 63年4月に死去。
   宮古新報

LINEで送る
Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です