沖縄戦後史に新たな視点「基地で働く」シンポ
基地で働いた経験談を語るパネリストの(左2人目から)
照屋菊さん、宮里信善さん、赤嶺時子さん
=16日午後、那覇市久茂地・タイムスホール
復帰前後の元米軍基地従業員の証言から沖縄の戦後史を見つめ直そうと、沖縄タイムス社は16日、シンポジウム「基地で働く-軍作業員の戦後」を那覇市久茂地のタイムスホールで開いた。
フェンスの内側で働いた元従業員3人が、これまで表に出ることの少なかった軍作業の内実や、「生活」と「反戦」との間で揺れる当時の心境などを明かした。
パネリストは、普天間飛行場の将校クラブで女性初のチーフバーテンダーとなった照屋菊さん(79)、牧港補給地区の陸軍第7心理作戦部隊でベトナム戦争の謀略ビラを作った宮里信善さん(65)、同補給地区を解雇後に軍作業の仲間と「ありあけ保育園」を設立した赤嶺時子さん(69)。
沖縄タイムスの磯野直記者が進行役を務めた。
沖縄戦をくぐり抜け15歳から基地で働いた照屋さんは「家族の生活の糧を得るためには基地で働くしかなかった」と振り返り、チーフとしての使命感と組合のストライキの間で悩んだ体験を語った。
北ベトナムを混乱させるための謀略ビラを作らされた過去を生々しく語った宮里さんは、秘密部隊について証言することへの不安を率直に口にしつつ、「反戦平和のため、若い人に伝えたい」と決意を示した。
赤嶺さんは「せっかく沖縄戦で命をつないだのに、軍の中にいてベトナム戦争に加担してしまった。その負い目を払拭(ふっしょく)したいという思いが力になった」と保育園立ち上げの経緯を話した。
これに先立ち、鳥山淳沖縄国際大学准教授が「基地労働の出発点から考える」と題し講演。多くの住民が基地労働に関わっていく流れを説明し「沖縄の戦後体験を考える上で、基地労働に目を向けることは不可欠」と強調した。
磯野記者は「つらい記憶や軍のプレッシャーのため、基地での体験をまだ安心して語れないのが復帰41年の沖縄の現状。当事者が安心して語れる社会をつくろう」と呼び掛けた。
客席には元従業員をはじめ、全駐労関係者や学生が多数詰め掛けた。会場入り口ではミニ写真展も開かれた。
同名の連載は、2012年4月から沖縄タイムス紙上で続いている。
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