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台湾との交流の歴史探る (八重山・沖縄) 

2013年6月17日 - スタッフ公式
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八重山と台湾、交流の歴史探る 
シンポジウムで意見交換

新空港通じ友好発展を
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 八重山と台湾との民間交流の過去を検証し、今後の在り方を考えるシンポジウム「台湾交流・過去と未来を考える」(八重山台湾親善交流協会主催)が15日午後、大川公民館で開かれた。
 台湾人が八重山にもたらした農業や台湾疎開の体験談、今後の台湾観光の在り方などについて台湾出身者や経済団体の代表など6人のパネリストが議論を展開し、今後の新空港の生かし方や八重山と台湾の交流の在り方について話し合った。
 ジャーナリストの三木健氏がコーディネーター、琉球華僑総会八重山分会の王田達夫分会長、同会青年部の呉屋吉男青年部長、同会の謝安琪氏、台湾疎開体験者の嵩本安意氏、八重山経済人会議の大浜一郎代表幹事、八重山毎日新聞社の松田良孝記者がパネリストを務めた。
 王田分会長は戦前の農業について「名蔵に入植して山を切り開き、水牛を使いながらパイン産業などの農業に従事した」と紹介し「一世が苦労し、築いてきた実績を私たち後世が引き継ぎ、守っていきたい」と述べた。
 嵩本氏は戦時中の疎開体験で基隆や台北、台中で過ごしたことに触れ、「母親が危篤状態になった時など台中の人には本当に世話になり、命を救ってもらったという思いがある」と語った。
 呉屋青年部長は文化の継承について「伝統の『龍の舞』で活動を盛り上げたい。青年部に関わらず、本土の人や県民なども巻き込みながら頑張りたい」と意欲をみせた。
 今後の台湾観光の在り方について大浜代表幹事は「新たな観光ルートの魅力や国際線ターミナルの改善、リピーターをつくるような交流の在り方などについて考えていく必要がある」と指摘。
 このほか、松田記者が与那国と台湾交流、謝氏が通訳士から見た八重山と台湾の関係などについて報告した。
 三木氏は「台湾を抜きにして八重山の過去と未来は考えられない。グローカルな新空港ができ、私たちがどのように生かしていくかが課題だ」と述べた。
  八重山毎日新聞

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