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ネフスキーの生涯触れる (宮古島・沖縄)

2013年7月2日 - スタッフ公式
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ネフスキーの生涯触れる、
加藤氏(人類学者)らが講演

 1900年代初頭に宮古島の方言や文化・風習等について研究したロシア人東洋学者ニコライ・A・ネフスキー (1892~1937) の生涯に触れる 「講演と映像の集い」 が先月30日、 市中央公民館大ホールで行われた。 ネフスキーの生涯を著した 「天の蛇」 の著者・加藤久祚 (きゅうぞう) 氏 (人類学者) とフリーライターでロシア研究者の田中水絵氏が講演し、 ネフスキーが残した功績を紹介した。
 加藤氏は 「ネフスキーとその友人たち」 をテーマに、 ネフスキーが1914年に来日したいきさつ、 民俗学者・柳田國男・折口信夫らとの出会い、 アイヌ語や宮古島方言の採集活動、 帰国後に日本のスパイとして逮捕拘留後に夫人とともに処刑されるまでの生涯を紹介し、 死後のネフスキーに対する人々の評価などについて切々と語り聞かせた。
 田中氏は 「ニコライ・ネフスキーと上運天 (稲村) 賢敷~ネフスキーの日記より」 をテーマに講演した。
 会場では北村皆雄氏が撮影した映像フィルム 「祈りの島│沖縄・宮古池間島」 (74年) も上映された。
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エフゲーニー・S・バクシェエフ氏
 同講演は、 ネフスキーが残した宮古に関する研究資料に触発され、 10年前から度々調査のため宮古島を訪れているという国立ロシア文化研究所日本文化研究センター長のエフゲーニー・S・バクシェエフ氏が主催して開かれた。
 バクシェエフ氏は 「宮古は地図の上では非常に小さな島だが、 その文化は琉球の歴史の中でもとても古い。 ギリシャが広いヨーロッパの文化の礎となったように宮古もそうであったように思う。 ネフスキーの目で見た当時の宮古の文化を日本人にもロシア人にも知らせたい」 と抱負。 また 「15年までにネフスキーの手書きの書を活字化して出版したい。 彼の生誕125年を迎える17年には、 完全翻訳版を解説も添えて出版し、 世界中に広めたい」 などと抱負を語った。
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大勢の市民が訪れ、 ネフスキーに関する講演に耳を傾けた
=先月30日、 市中央公民館大ホール
 事務局を務めた奥濱幸子さんは 「長い年月の中で私たちが失ってきたものは多い。 ネフスキーの目を通して当時の宮古島の民俗文化を知り、 これからの宮古がどうあるべきか考える機会になればと思う」 と話した。
  宮古新報

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