「お帰りと言いたい」 比残留邦人2世
・知念さんあす来県
ノルマさんに会ったら「洋服を買ってあげたい」と話す
安里カツさん(左)と冨里ミヨさん
=17日、うるま市勝連津堅の冨里さん宅
【津堅島=うるま】
太平洋戦争の混乱でフィリピンに残された日系2世の知念ノルマさん(71)が19日、来県する。
20日に父常保さんの生まれた津堅島に渡り、叔母の冨里ミヨさん(87)、安里カツさん(79)ら親族と初めて対面する。
常保さんの墓参りやきょうだい、親族と交流する予定だ。
安里さんは「生きていればいつかは会える、会いたいと思っていた。とにかくお帰りなさいと言いたい」と思いを込める。
安里さんによると、1935年、常保さんは弟とフィリピンへ出稼ぎに渡った。同国から帰国した親類は「(戦争で)2人とも兵隊に取られた」「常保さんの奥さんは『田舎に帰る』と言って、ノルマさんを連れて行った」などと、ノルマさんの祖母カマさん(故人)に伝えたという。
フィリピンに出稼ぎに行った当時、幼かった安里さんは、常保さんのことは覚えていない。だが、帰国した親類から「常保さんは『早く沖縄に帰って、妹と暮らしたい』と話し、家族の写真を見ながら、お酒を飲んでいた」と伝え聞いた。
米軍の沖縄上陸が近づき、津堅島にも日本兵の兵舎が立ち並んだ。カマさんは、実家の裏で行われていた日本兵の訓練で、上官が部下をたたいて指導しているのを見て「常保たちも、あんなにふうにされていないか」と心配していたという。
昨年、冨里さんは初めてノルマさんの写真を見た。「(私たち)きょうだいと似ている」。安里さんは「兄さんが生きていれば、一緒に帰ってきたはず。お母さんにも『兄さんの子どもだよ』と報告したい」と唇をかみしめた。
琉球新報