伝統の「龕」装飾手直し 中城村津覇区
龕の装飾手直しをする呉屋勲さん(左)と義間盛一さん
=中城村津覇・火之神殿内仮設小屋
【中城】
村指定の有形民俗文化財で遺体を運んだ村津覇区(新垣美恵子自治会長)の「龕(がん)」の装飾手直し作業が進められている。作業は、新垣健二さん(65)、呉屋勲さん(60)、義間盛一さん(58)を中心に、休みの日には集落の人も駆け付けて手伝っている。
9年ごとに行われる作業で、津覇小学校体育館裏にある龕屋から運ばれた朱色の龕は村の火之神殿内のプレハブの仮設小屋に安置され、仏画や蓮(はす)の絵が描かれている4面の壁板、屋形・柱・戸などが分解されている。
柱の下部に輿(こし)の総重量が100キロと表示されている。ひつぎを入れる内室は幅75センチ、長さ160センチ。かつては集落の屈強な若者8人が1組になり、交代で輿を担ぎ墓まで遺体を運んだ。雨上がりや勾配のきつい所は参列者も加わりロープで引っ張った。龕を所有してない集落が借用することも多かったという。
戦後の龕は1949年、当時大工の棟梁(とうりょう)だった故新垣緒義さんが製作し、故呉屋正樹さんが絵を描いた。その後は9年ごとに装飾手直しを行ってきた。今回の装飾では柱部分の腐食が見つかったという。
新垣さんらは「子どものころ、龕を使うのを見たことがある。先輩たちが行ってきた歴史を伝えたい」と話す。
旧暦の9月9日には、新調中の「獅子舞」の胴着と共に、集落の道ジュネーでお披露目される。
(翁長良勝通信員)
沖縄タイムス