大正時代完成のトンネル、運天字史に
かつては多くの人々が行き交い、にぎわいをみせていた。「
昔は遠足で見に来る子どもたちもいた」と振り返る高田智子区長=今帰仁村運天の通称「ジブ」
【今帰仁】
平安時代末期の武将、源為朝の上陸伝説がある運天区では現在、字史の編さんに取り組んでいる。戦前の大正時代に造られた「運天トンネル」も盛り込む予定で、古宇利大橋や臨海道路の開通で往時のにぎわいはないが、地域の遺産として重視する人も少なくない。
「私とトンネルは同じ年齢ですよ。子どもたちもトンネルに愛着があるみたいです。大正13年です」と話すのは運天区の松田香代さん(90)。トンネルのそばに住む松田さんは「このトンネルは多くの観光客などでにぎわっていた。今はあまり人も車も通りません」と寂しげだ。
運天トンネルは長さ17・5メートル、幅5メートル、高さ4メートルで1924年に古宇利島への渡し舟の接岸場所だった運天港へ抜ける道として造られた。陸上輸送が盛んになる時期に、トンネルも大きな役割を果たしたという。
同区「ムラウチ」で50年、商店を営む上間正伸さん(80)も「昔はとてもにぎやかで、桟橋駐車場は車でいっぱいでした」と述懐。高田智子区長(53)も「遠足でトンネルを見学する子どもたちもいたそうです。私も小さい頃、ハーリーを見に港へ行きました」と振り返る。
かつては、臨海道路ができるまで路線バスがトンネルを通過。朝1番のバスは古宇利からの客や高校生で満員だったという。戦後、米軍の駐留時代はトンネルに鎖が掛けられ、ムラウチに一時期、入れなかったこともあった。
現在、トンネルの手前から「運天散策道」があり、展望台から古宇利島や大橋、屋我地島、ワルミ大橋などが絶景が広がる。
時代を見つめてきたトンネルも含め、同区では字史編さんに取り組んでおり、高田区長は「トンネルは定期的に清掃をしています。きれいな運天トンネルも見てほしいです」と地域の遺産として活用する考えだ。
(玉城学通信員)
沖縄タイムス